佐和山城

別名 佐保山城  付近住所 滋賀県彦根市佐和山町 現在 佐和山
2007/12/22 碑・案内板アリ 日本城郭大系


佐保氏→
磯野員昌→
石田三成→
井伊直政
 佐和山のある湖東地方は、東山道・北国街道そして琵琶湖をひかえた交通の要衝であり、戦略上の拠点として、古来から幾度となく戦乱の舞台となりました。中世に入り、近江を治めた佐々木氏が、近江南部の六角氏と近江北部の京極氏に分かれると、両雄の勢力の境に佐和山にも要害の地として城が築かれ、武士化した在地の小領主を巻き込んだ攻防戦が繰り返されました。そして戦国時代、京極氏の被官から勢力を伸ばした浅井氏と、尾張から天下統一をめざした織田信長との間で、佐和山城争奪戦が展開されます。その後、信長と豊臣秀吉の下でしばしの小康状態を迎え、石田三成が城主(1595〜1600)となって城の規模も拡大されますが、関ヶ原の戦いに落城し、やがて廃城と化しました。